こんにちは、ママカースト下位のポツンママです。
子供を持つママが集まると、その中にマウンティングや自慢をするママがいることはありませんか?
今日はマウンティングについて、マウンティングされた側にフォーカスして書いてみようと思います。
この記事の目次
見渡せばマウンティングが色々なところに
一般的にマウンティングママといえば、
- 子供の成長が早い
- 子供が成績優秀
- スポーツで活躍している
- 実家が資産家
- 自宅が持ち家
- 車が高級車や外車
- 夫やマウンティングママが高給な職業・地位が高い
- 勤め先が上場企業や外資
- 夫やマウンティングママの学歴が高い
- 海外旅行によく行く
- ママの見た目や持ち物
など子供が優秀であったり、経済的に裕福であることをアピールするケースが多いです。
あと、グループを組んでいるママがポツンママをマウンティングするケースもありますね(経験談)。
マウンティングする人・しない人
なぜマウンティングママは自分が優位であることをアピールするのでしょうか。
マウンティングする人の心理
- 自信がない
- 自己承認欲求が高い
- 日常生活に不満が多い など
ひとことで言うと「欲求不満」なのでしょう。
夫が家事も育児も手伝ってくれないとか、私一人で頑張っているのに誰にも認めてもらえないとか、自分の理想と現実がかけ離れていて、もがいているのかもしれません。
認めてもらえる人がいない・少ないから自信も持てないのでしょう。
- その対象の人に負けたくない
- 自分に持っていないものを持っていて羨ましい・妬ましい など
優劣を気にして、羨望・嫉妬に満ちています。
相手ママが美人だとかスタイルがいいとかお金持ちだとかご主人が高収入のイケメンだとか、自分では手に入れられないものを持っているのがうらやましい。そして妬ましい。
ターゲットに対して強い劣等感を持っています。
それを、時に虎の威を借る狐のごとく子供の出来や夫のスペックなども含め、自分の持ち合わせているものをアピールしてマウンティングすることで発散しています。
マウンティングする人は比較対象をつくり、「この人と比べて自分は優れている」という自己認識や相対評価を得ようとします。比較対象を作らないと自分自身の立ち位置や存在価値がわからない。
誰かと比較・マウンティングして自分の方が優位であることを確認することで、何とかプライドを保っているんですね。
グループママがポツンママをマウンティングするのは、「自分がポツンママになってしまうのが本当はものすごく怖い」のでしょう。
1人になるんじゃないかという不安や恐怖を抱えているけど、それを払拭するためにグループに所属して依存、1人でいるママにマウンティングすることで自分が勝った気になっているのかもしれません。
マウンティングしない人
一方、心が満たされている人はマウンティングしません。
信頼できるパートナーや家族がいて、普段の生活で十分に承認されている人は、自信があり精神的に自立しているので誰かをターゲットにして攻撃する必要などないのです。
また、自己を尊重する心は持っていますが、相手を認める素直さも持っているので人を尊重し賞賛することが自然にできます。
人を認めるというプロセスに、自己のプライドは不要であることがわかっています。
マウンティングされたって言うけど
今度はマウンティングされた側の心理を見てみましょう。
最初はもやもやするのではないでしょうか。「なんか嫌なかんじ」と。
例を挙げてみます。
「夏休みはご実家に帰られたのね。お饅頭ありがとう。うちはグアムに行ってきたの、はいお土産。」
これ、言われたら確かにもやっとしますね。
そのもやもやを掘り下げていくと、
- 海外旅行に行ける家庭がうらやましい
- 長期休みに実家に帰ったことを小馬鹿にされたようで悔しい
- 経済格差があることを見せつけられたようでみじめ
など、心の中に嫉妬や劣等感、卑屈さがあることに気付きませんか?
これって、マウンティングしている側と同じですよね。
受け手のプライドが「マウンティングされた」と変換させる
マウンティングは、する側が相手を貶める言葉を直接投げかけるのではなく「自慢ととられる言葉」をかける⇒相手がそれを不快に思いマウンティングされたと受け取ります。
つまり、不快に思わない受け手の場合はマウンティングと取られないのです。
世の中マウンティングする側ばかり槍玉にあげられて、怖いですね、だからああしましょうこうしましょうという対策を講じていることが多いですが、果たしてマウンティングしている(と思われている)側だけが悪いのでしょうか。
マウンティングしない人と、されたと受け取る人の違い
マウンティングした側は、意識的にマウンティングするときもあれば、そんなつもりはないのに「マウンティングしてしまった(と受け取られた)」ということもあります。
それに対して、マウンティングしない人は、意識無意識問わずマウンティングや自慢っぽい発言をされても≪素直に≫「すごいね」と感心します。
一方、マウンティングされたと受け取る人は、相手が自分より優位に立っていることにもやもやを感じます。
そして、それって自慢?嫌な感じというフィルターを通してから「(持ち上げておくか…)すごーい」という対処法を取ったり、マウンティング返ししたり。
マウンティングしない人と、されたと受け取る人の違いは「相手を尊重するか、自分のプライドを尊重するか」です。
マウンティングされたと言う人は、素直に相手を認めず「攻撃対象にされた」という表現をします。マウンティングは、する方が悪いというのが定説ですから、自分は被害者だという意識があるんですね。
考察:マウンティングされた側はクリーンというわけではない
個人的には、「マウンティングされた」と言ってるけど、騒ぐほどのことじゃないんじゃない?プライドが高くて嫉妬や劣等感があるのは、マウンティングされたと言う方も同じだ、と考えています。
私も、「うち、夫の収入が低くないから、子供が保育園に入れるか不安でー」とかさりげなく自慢されたりするともやもやしますよ。
ご主人や相手ママが高学歴だったり、大企業や外資系企業勤めだったりすることを自虐型だかなんだかで言われると、正直ふーんとは思います。
なぜそのようなもやもやを感じるか少し深く掘り下げてみると、高学歴や、経済的に豊かな相手ママがうらやましいからなんだろうなと思い当たりました。
今回のテーマを書くにあたって、今までマウンティングされてもやもやしたことを書き出してみたんだけど、それって嫉妬も多いんだなと。
自分にはないものを相手が持っているのがうらやましかったりね。
私は小馬鹿にされることもままあるし、マウンティングやクレクレのターゲットにされることが多いと自覚しています。
でも、自分の心もきれいなわけではないなと思いまして。
マウンティングされたと言う方にも黒い感情がある、それを認めないでマウンティングする方だけをひどいと非難するのは違うなと考え、自戒をこめてこの記事を書いてみました。
まとめ
マウンティングする方もされる方も、お互い羨望や嫉妬、劣等感やプライドに満ち溢れています。
マウンティングされてもやもやする感情を抱くということは、相手が自分より優位に立っているのが受け入れられないということ。
相手の言動に勝ち負けや優劣を感じてしまうと、マウンティングの土俵に上がってしまいます。
ママたちの中で生きていくには、マウンティングされていることに気付かないくらいの鈍感力があったほうがいいのかもしれません。
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